サウナで整う

今日はサウナに整えに行こう、って思っていて、そしたら雨で、草刈りできないし、ちょうどいいときつねの温泉へ。ちょっと前にサウナの本を読んで、サウナの作法を知ってから、じっくり行きたかった。けど子供達が一緒だとあまりゆっくりしていられないので、平日昼間をねらっていた。整う、っていうさわやかな感覚を味わいたくて。もちろん1回じっくり入るだけでも多少はその清々しさを感じられたけど、3セットくらい入ることで、より整う感覚を味わえるというので。
ひとまず露天風呂に入って、周りの森の深いグリーンをバックに小雨がさらさらと降る様を眺めていたら、すぐそばを薄茶色の小動物が横切る気配がして、猫?と思ったら、耳が長い🐰野ウサギ。変なところに出てきちゃった!っていう焦った仕草がかわいかった。いいもの見た。
それからサウナ。無理するとクラクラめまいがするので、ほどほどに。3セット(10分サウナ、水風呂2〜3分、休憩少し、が1セット)。温泉入りすぎてのぼせ気味になるのと違って、芯まで温まってるのに清々しくさわやか、っていう、これが整う、なのか!と満足して、麹を買って、帰る。度々来よう。

それにしても昼間の温泉にいるまわりのおばちゃんたちはうわさばなしとぐちばかり、いくらでも出てくるのね〜、と感心しちゃう。
楽しくてワクワクする話だけしていたい。

昨日のさわやかないい天気から一転、

今朝は雨の音と共に目覚め、

せっかくのお休みなのだけどこの春からの趣味である草刈り(仮払い機でする)ができなくてがっかり〜が最初に思ったこと。

でもそのあと気持ちいいことがたくさん。

庭のアジサイがようやく花らしくなってきていて、

昨年末購入しためずらしい紫色のシクラメンが今頃もう一度綺麗な花を咲かせてくれて、

春摘みダージリンが本当に美味しくて(ミルクティー一辺倒だったのに)、

bonobosの昨年の日比谷野音のDVDをかけながら(大宴会後はbonobos熱再燃、ずーっと聴いてる)ヨガをして体を伸ばしていたら色々なこれからの自分にとって大切ないい考えがポコポコと浮かんできて(忘れないようにしなくちゃ)、

大宴会で飲んだ大宴会エールと後夜祭でいただいたクラフトビールもいい香りで本当に美味しかったな〜また飲みたいな〜と思い出したり、

久しぶりに見た石井ゆかりさんの年報があんまりにも当たっていてほーっとなったり、

昨日は、私の中にあったちょっとした偏見が溶けてしまってスッキリして生きやすく動きやすくなったり、

今はそんな感じ。

6/19_プレーンシフォン、桑の実フォカッチャ、ショップカードリニューアル

 

茨城県常陸太田市のまったり〜村の放し飼い有精卵と、山梨県産の自然栽培の小麦粉(農林61号)で、久しぶりにシンプルなシフォンを。半分は息子のおやつに。

 

 

大子のさより農園さんの畑の桑の木に実った立派な桑の実を分けていただき、今日はたっぷりパン生地にのせて焼いてみた。

若干の野生味があるものの、酸味より甘みが際立つ。

 

昨年 小池 晶子 (Akiko Koike)さんに作っていただいたショップカード、とても好評であっという間になくなってしまったので、今回、心機一転リニューアルして、再発注。

大宴会の直前に到着。

紙が少し変わって、よりスッキリした印象に。

置いてくださるお店さんなど、もしいらっしゃいましたらお声がけくださいね。

送らせていただきます。

大宴会in南会津2018

6/16(土)は 大宴会in南会津に出店。今ご用意できる最上のもの、できるだけ、持っていけるだけ、作ろう、という一点に集中していたここ一週間。余裕持って到着しようと思っていたけれどあれも作りたいこれも、と、結局ギリギリまで焼き上げていざ積み込み。大きくなってきた子供達もつれて、今年はテントもテーブルも各自、とのことだったので、詰めるだろうか?という不安と、でももっと持っていきたい、というのとのせめぎ合いで、焼けるだけ焼いて、あとは積んでみなくちゃわからない、でも結果なんとかなって、第一関門突破。搬入時間ギリギリで無事に到着。会場は小雨。久しぶりだったこともあるし、今日の一期一会を堪能したい、という気持ちもあり、写真を撮ることは忘れていた。最近写真撮っていない。

渾身のラインナップは、玄米甘酒酵母使用米粉のバナナブレッド、クロワッサン、ラム風味の豆乳クリームパン、ブルーベリーと桑の実のフォカッチャ、そら豆とミニトマトとローズマリーのフォカッチャ、グリーンピースとパルミジャーノのフォカッチャ、ルバーブクリームチーズ、いちごチョコチップ、よもぎあんぱん、スコーン4種(ホワイトチョコとルバーブ、アールグレイとラムレーズン、ズッキーニとパルミジャーノ、人参とメープルくるみ)、クッキー6種(シリアルカカオ、チョコチップオートミール、緑茶、ココア小豆、玉ねぎクラッカー、アールグレイティー)。再開後初のイベント出店なので、この日に照準を合わせて材料を用意したり準備したりしてきた。焼き上げつつ自分で味見したスコーンがおいしかったので今日は大丈夫、って予感がしていた。雨でゆっくりペースではあったけど、興味持ってもらえて手にとってもらえたかなという実感。(奇妙礼太郎さんがスコーンを買ってくれてうれしかった。)

グループの中の、ではない、個人と個人の出会い、の連続がとても心地よい時間だった。私の立ち位置が揺らいでないから、もう隠すものがなくなったから、すごく安心して、今までの人とも新しい人とも一期一会として出会えたような気がする。よかった。

それから音楽のチカラ。素人じゃない技と魅力を持った人たちを次から次へと間近で見て感じて、なんであんなことができるの?!と尊敬して感動してばかり。ミーハーにドキドキしてテンション上がって、自分の動きまで変わっちゃって、どんなに嫌な気分だって反転させられるくらいのパワーがあると感じた。そういうのに触れることの意味ってなんだろう?って考えていた。大好き、と思える、ピピっときたアーティストを追いかけてライブへ行く、生で音を声を振動を浴びて感じることの意味。非日常の感覚を味わい、振動数を変えるほどの体験。一見、遊んでいると思われるような行為。でも私の場合それをせずにはいられない。大事なこと。生きているということ。

この日の私的メイン、雨足が強まる中数曲のbonobosのステージが終わって、物販のところで、蔡くんの歌詞集を手に入れた。言葉の渚。最後に書かれたあとがきを読んで、このあとがきをずーっと読んでいたいと思った。そうそう、こういうこと、本当にそう。って思って。「ポップミュージックが、僕らの生きる世界で時折みせる奇跡的な機能やその効果というものを皆もいくつか知っていると思う。遠く離れた知らない誰かとも、強く結びついているのだと感じさせてくれる瞬間をくれる。僕の書いた歌が連れてくるかもしれない、そんなあらゆる奇跡的なことにこっそり期待しながら、そしてそうやって本当のことに近づこうと試みる行為そのものによって、僕は世界を何度も発見し、心の中に小さなそれでいて強固な都市を築いてきた。」
その奇跡を、いつも感じていた。蔡くんの期待どおりに。謎が解けた瞬間。
第一印象は声だったけど、そのうち歌詞が好きだなーと思って、曲がまるで物語のようだなーと思って、ツイッターの短い言葉のセンスがとても好きで、そこにはふざけたこともまじめなことも書かれているんだけど、全て、本当のことを書こうとしているのが伝わるから、嫌味に感じられず、気持ちよく受け止められるし、清々しくて、それでいいんだよね、といつも安心する私だった。難しい言葉を使ってるわけでもない、けど蔡くんが言葉を並べると、蔡くんの構築した世界が見えてくる感覚がある。
エッセイとか、なんでもいいから蔡くんの言葉を紡いだものを、もっと見せて欲しいなと思った。伝わりますように。

ラップの人たちもすごかったなぁ。今まで興味ない世界だったのに、急に引き込まれた。面白くてかっこよくてすごい。頭のなかどうなってるんだろ?それとナマのU-zhaan、すごかったー。感動した。もちろんステージもよかったんだけど、後夜祭での即興のを間近で見られたのがものすごーーーくよかった。やっぱりナマだな。迫力が違う。

後夜祭の後、子供達は先にコテージで寝ているのかと思いきや、外の焚き火のところで火の番をしており、すごい人たちと話したりしてて、おまけに私も仲間に入れてもらって、少しの時間。今日の出来事にあまりに興奮しすぎてしまって、なかなか寝付けなかった。まだ興奮冷めやらない。

晴天の日曜。ゆっくり寝て起きて、身支度して外へ出たらbonobosのみんなが帰るところ。心臓が。昨晩のお礼を伝えるので精一杯。


それから、越智珈琲さんの振る舞いコーヒーいただいて、大きな山が迫ってくるような、あの大好きな道を通って、帰る。南会津、いつも、いいなぁ、と思う。

本場のしんごろうがすごく美味しかった。もう一つ食べればよかった。ユザーンさん食べたろうか。

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今自分に降りかかっていることがあまりに難題で複雑で切羽詰まっていて、現実の頭で考えたところで何かいい案が思い浮かびそうにもない。けれどもなぜかわからないけれども何かしらのあまりにもちょうど良い道が用意されているような気がしてならない。なのでもちろん不安ではあるけれどもそれと同時にどうなるんだろうっていう静かながらも楽しみなような感もあり、そのヒントやタイミングをちゃんと受け取れるよう見極められるよう気づけるよう、今自分にできることは自分をクリアに保っておくことかなと。卒業シーズンで忙しい中ギリギリで青申やりながら、掃除やヨガをいつも以上に丁寧に念を込めてやる。仕事は最低限。とにかく、周りの雑音に振り回されることなく、自分の中の静けさをキープ。目の前の事象に一喜一憂しない。落ち込みすぎない。そう心がける日々。

学校って

学校、というものの閉鎖性について、考えさせられる流れ。

娘が中学に入るにあたって、制服を試着する姿を見て、ぎょっとしてしまい。

喜ばしい、という感情は出てこなかった。

こんな窮屈な閉鎖的なものを身につけてこれから3年間過ごすのか、と。

 

つい先日は小学校の温かみをよいなぁと感じたばかりだった。

それとこれとはまた違う視点。

小学校が良くて中学校が悪いということではなくて、閉鎖性という点では小学校も同じところもあるので。

 

制服、校則、今の自分にとってものすごく違和感がある。

もちろん私はいい大人だけど、子供だからといってそういうものでがんじがらめにしてよいはずはないのでは。

ましてや子供だからこそ、今持っている貴重な創造性を失わないような環境が必要なはずなのに。

将来の夢や希望を感じられるだろうか。

学校ってなんだろう。

STEREO

やれてなかったこと、申告関係一つ午前中にクリアしたらそのあとさくさくっといくつか発注関係クリアしてスッキリ。

今日は早めにプール。

長くゆっくり泳げるようになる、っていう目標をクリアできたので、自分の中で次なる設定をセッティング。

疲れないように泳ぐ、となると結局あまり足を使わないで泳いでしまうので、身体的にバランスが悪い。

もともとなで肩でどっしり体型だし年齢とともに全て下へ下へと悲しいかな下がっていくし。

なので今まであまり重要視してなかったウォーキングを積極的に。

これがちゃんとやろうとするとかなりしんどくって効く感じ。
昨年8月からほぼ10年ぶりのプール通いで、自分の体は自分で変えられる、って信じられるようになったから、
今回も、どうなっていくかを楽しみにがんばる、っていうか、水の中にいることが好きでたまらない。
娘のバレンタイン用のお菓子のお手伝い。
おととい試作したココア小豆蒸しケーキがことのほか美味しくて、今日は倍量で作り、ラッピングまで。
わたし的にも、次なるメニューのヒントをもらえたかも。
夜は大橋トリオさんのラインライブ。
お風呂で見始めたけど、イヤホンでちゃんと聴きたくなって、ささっと上がって改まって大音量で耳元で。
あぁぁぁぁぁ、、、、
あまりによすぎて、身の置きどころに困るこの感じ。
体の粒子がざわざわ言ってる。
遠隔ではあるけど、映像と音と、目と耳と全身から波動で受け取って、
その振動に同調するようにアクティベートされた、って感じ。
明日はちゃんと早く起きよう。

つぶやき

どうしても1月後半から2月3月は追われるものがありどうも余裕を持てなくなり落ち着いて想いを綴るという時を持てなくなってしまう
今まさにそんな真っ最中
でもまだ向き合いきれてなくて逃げてるところ

そんな中、感じること

なんだか最近自分と他者との境目が曖昧というか、、、
自分じゃない人が喜ぶことが私の喜びというか、、、
よその子も自分の子と同じように愛おしいというか、、、
ラーメン屋のおばちゃん、取引させていただいてる生産者さん、レジのバイトのお兄さん、ゆうパック宅配のおじちゃん、
そんな一期一会の人たちとの日常のなんともない一コマが、、、
素粒子の交換、というものなのかも
自分の中の変化に戸惑うくらいに
良いことなので良いのだけれど

最近子供達との会話で流行っていること
お徳貯金
お得、じゃなくて、お徳(ってあの子達わかっているかな)
良いことしたらそれが貯まっていくよ
良いことしたら良いことが返ってくるよ
ひなた(お姉ちゃん)ばかりずるい〜っていう弟の一言がきっかけ
かしこい姉にいつもやりこめられているからね
それは損してるんじゃないんだよ、って言いたくて

少し前に友達が面白いよって言っていたので我が家も、と毎日2話くらいずつ観ているのは、世界名作劇場のトムソーヤの冒険
ちょうど私が小2のころのだ
覚えてることもあったりして懐かしい面と
今大人になったからこそ深く分かり合えるところと、があって、本当におもしろいし、
一言一言がとてもうまく考えられていて深くて、見逃せない
今日観た場面でもハックがトムについて語るところ、それを聞いているベッキーの心の中の動き、何もかもが素晴らしくて
宝物のひと時
今ちょうど小2の息子と一緒に見ることができて本当に良かった

発言力ある人の一言でカリスマを作ってしまうことがなんだか怖いなーと
なんでもない自分の身近なところにもよいものってたくさんあって、別に遠くからお取り寄せしたりしなくてもきっといろんなこと感じられたりするはず
自分で生み出すこともできたり
どうしてもそれを手に入れたい、とか、そこに行きたい、とか、踊らされてしまいがち
カリスマを作ってしまうと、そればかりもとめられて入手困難になりますます高価になり、普通に当たり前に作っている地元の人たちのいとなみがおびやかされてしまいがち
完璧を求めるあまりにほんの少しの要素をものすごく大げさにバツをつけてしまって、ものすごく高価な100%のものだけを求める風潮も